翌日、家族で祖父の墓参りに出掛けた。普通に歩けば十分くらいの道のりを、祖母と歩く為その倍の時間を掛ける。時折吹き抜ける爽やかな風が、じっとりと滲み出る汗を拭い取ってくれる。
墓は、ほぼ毎日ここを訪れる祖母の手により美しく手入れがされていた。可愛らしい野の花も供えられている。いつもは祖母が行っている作業だが、今日は僕が墓を洗い清めることになった。僕は墓標に水を遣り、手を掛けた。代々の僕の祖先の名前。知っているのは、祖父の「伸治」という名前だけ。僕の名前は、僕の誕生を心待ちにしていた祖父の名前を取って、「伸春」とつけられた。漢字が違うのは、僕が春生まれだからだ。
僕は「伸治」の横に並ぶ、「伸一」という名前に初めて気付き、手を止めた。
墓は、ほぼ毎日ここを訪れる祖母の手により美しく手入れがされていた。可愛らしい野の花も供えられている。いつもは祖母が行っている作業だが、今日は僕が墓を洗い清めることになった。僕は墓標に水を遣り、手を掛けた。代々の僕の祖先の名前。知っているのは、祖父の「伸治」という名前だけ。僕の名前は、僕の誕生を心待ちにしていた祖父の名前を取って、「伸春」とつけられた。漢字が違うのは、僕が春生まれだからだ。
僕は「伸治」の横に並ぶ、「伸一」という名前に初めて気付き、手を止めた。
「ねえ、『伸一』って、誰?」
その名前を見て、何か懐かしいような、不思議な気持ちになった僕は尋ねた。
「おじいの、兄さんやな。わしも会うたことがないが。確か、おじいの八つくらい上やいうとったがな。戦争でな」
祖母がそう答えた。
「ノブイチ……」
僕は小さく呟いた。途端、僕の脳裏を、この地での兄ちゃんとの思い出が、次々と駆け巡った。
「……兄ちゃんだ……」
僕は確信した。根拠は、何もない。でも僕には分かる。
帰り道、家族と別れて僕は一人、いつか兄ちゃんと一緒に登った小高い丘に登った。以前来た時と変わらない景色。細い獣道の他は一面に柔らかい夏草が密生している。わずかな風にもそよぎ、僕の膝下を優しく撫でる。
辿り着くとそこには兄ちゃんがもう僕を待って立っていた。
「……兄ちゃん、ノブイチっての?」
恐る恐る僕は訊ねた。
「……そうだよ。……ハル、本当に大きくなったね」
そう言って兄ちゃんが寂しそうに微笑んだ。すると突然、ざあっと、大きな風が丘の草を一撫でした。
「ハル……、ハルが十八になったら言おうと思ってた事がある」
「……何?」
兄ちゃんのいつもとは違う、寂しげだけれど、何か意を決したような微笑みに不安になって、僕は兄ちゃんのシャツを握った。
「俺はずっとハルに、本当の気持ちを隠して接してきた。……俺は、兄失格なんだよ。兄弟、性別を越えて、ハルの事が愛しくてたまらない。……もう、ハルの前には現れないから、最後に……」
そう言って彼はそっと僕の頬に触れた。僕の頬を確かめるようにしばらく手を置いて、苦しそうに微笑んだ。そして震える手で僕を引き寄せ、優しく口づけた。また風がざあっ、と音を立てる。
「兄ちゃん、もう現れないなんて言わないでよ……。僕が名前を言っちゃったのがいけなかったの?」
僕は兄ちゃんを離したくない一心で、両腕を彼の背中にまわした。
「違うよ……」
彼は静かに首を横に振った。
「兄ちゃん、僕も、兄ちゃんの事が、好きだよ。……どこにも行かないで……」
「ハル……、ありがとう……」
兄ちゃんの頬には、涙が伝い落ちていた。僕はその涙を拭うように、兄ちゃんの頬に唇を寄せた。
「兄ちゃん……!」
彼は僕を力の限り抱き締めた。
僕達は、何度も唇を重ねた。兄ちゃんは僕の名を何度も呼び、やがて、彼の沈痛な表情が、柔らかい微笑みに戻っていった。
……いつのまに眠ったのだろうか。
目覚めると、僕は鮮やかな朱色の夕焼けに包まれていた。小さい頃兄ちゃんと一緒に見たのと同じ光景。でも目覚めた僕の横にはもう兄ちゃんの姿はなかった。
……夢だったのか……?
そう思って兄ちゃんに接吻けられた僕の胸元を覗き込んだ。するとそこには、確かに兄ちゃんが付けた、朱い跡がたった一つ、残っていた。夕焼けの色に飲み込まれてもなお浮かび上がるその跡をじっと見ていると、じわりとその輪郭がぼやけ、ぽとりと落ちた僕の涙と重なった。
兄ちゃんは行ってしまった。
僕ではない、本当の「ハル」の元へ、行ける日がようやく来たのだ。
そして、僕と兄ちゃんの夏は、これが、最後だ。
おわり
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その名前を見て、何か懐かしいような、不思議な気持ちになった僕は尋ねた。
「おじいの、兄さんやな。わしも会うたことがないが。確か、おじいの八つくらい上やいうとったがな。戦争でな」
祖母がそう答えた。
「ノブイチ……」
僕は小さく呟いた。途端、僕の脳裏を、この地での兄ちゃんとの思い出が、次々と駆け巡った。
「……兄ちゃんだ……」
僕は確信した。根拠は、何もない。でも僕には分かる。
帰り道、家族と別れて僕は一人、いつか兄ちゃんと一緒に登った小高い丘に登った。以前来た時と変わらない景色。細い獣道の他は一面に柔らかい夏草が密生している。わずかな風にもそよぎ、僕の膝下を優しく撫でる。
辿り着くとそこには兄ちゃんがもう僕を待って立っていた。
「……兄ちゃん、ノブイチっての?」
恐る恐る僕は訊ねた。
「……そうだよ。……ハル、本当に大きくなったね」
そう言って兄ちゃんが寂しそうに微笑んだ。すると突然、ざあっと、大きな風が丘の草を一撫でした。
「ハル……、ハルが十八になったら言おうと思ってた事がある」
「……何?」
兄ちゃんのいつもとは違う、寂しげだけれど、何か意を決したような微笑みに不安になって、僕は兄ちゃんのシャツを握った。
「俺はずっとハルに、本当の気持ちを隠して接してきた。……俺は、兄失格なんだよ。兄弟、性別を越えて、ハルの事が愛しくてたまらない。……もう、ハルの前には現れないから、最後に……」
そう言って彼はそっと僕の頬に触れた。僕の頬を確かめるようにしばらく手を置いて、苦しそうに微笑んだ。そして震える手で僕を引き寄せ、優しく口づけた。また風がざあっ、と音を立てる。
「兄ちゃん、もう現れないなんて言わないでよ……。僕が名前を言っちゃったのがいけなかったの?」
僕は兄ちゃんを離したくない一心で、両腕を彼の背中にまわした。
「違うよ……」
彼は静かに首を横に振った。
「兄ちゃん、僕も、兄ちゃんの事が、好きだよ。……どこにも行かないで……」
「ハル……、ありがとう……」
兄ちゃんの頬には、涙が伝い落ちていた。僕はその涙を拭うように、兄ちゃんの頬に唇を寄せた。
「兄ちゃん……!」
彼は僕を力の限り抱き締めた。
僕達は、何度も唇を重ねた。兄ちゃんは僕の名を何度も呼び、やがて、彼の沈痛な表情が、柔らかい微笑みに戻っていった。
……いつのまに眠ったのだろうか。
目覚めると、僕は鮮やかな朱色の夕焼けに包まれていた。小さい頃兄ちゃんと一緒に見たのと同じ光景。でも目覚めた僕の横にはもう兄ちゃんの姿はなかった。
……夢だったのか……?
そう思って兄ちゃんに接吻けられた僕の胸元を覗き込んだ。するとそこには、確かに兄ちゃんが付けた、朱い跡がたった一つ、残っていた。夕焼けの色に飲み込まれてもなお浮かび上がるその跡をじっと見ていると、じわりとその輪郭がぼやけ、ぽとりと落ちた僕の涙と重なった。
兄ちゃんは行ってしまった。
僕ではない、本当の「ハル」の元へ、行ける日がようやく来たのだ。
そして、僕と兄ちゃんの夏は、これが、最後だ。
おわり
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コメント
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2007/08/24(金) 00:05 | | #[ 編集]
これ、エエですわ。
平和堂書店の推薦図書に入れたいです。
でも、もう、これ、このレベルの完成度の作品でしたら、思い切って告白場面、セリフはカットしたほうが美しい。
「兄ちゃん」の愛は、匂わせるだけに留めるのです、そのほうが作品の主題が生きる。
言外にいろんなものを包含できる。
わざと書かない、という手法もある。
「イマジネーション」ほど、豊かにあらゆるものを包括する可能性のあるものはないからです。
描写すること、表現することから逃避して、イマジネーションに頼るのは良くないけれど、これだけ情景と背景が描写されていれば、「兄ちゃん」の思いは、キスマークだけで充分以上に説得力を持つ。
これはこれで置いといて、別バージョンとして、「同性愛の匂いのする純文学ショートショート」という向きで、もう一度、推敲なさってみては。
相当高い水準の作品に仕上がると思います。
平和堂書店の推薦図書に入れたいです。
でも、もう、これ、このレベルの完成度の作品でしたら、思い切って告白場面、セリフはカットしたほうが美しい。
「兄ちゃん」の愛は、匂わせるだけに留めるのです、そのほうが作品の主題が生きる。
言外にいろんなものを包含できる。
わざと書かない、という手法もある。
「イマジネーション」ほど、豊かにあらゆるものを包括する可能性のあるものはないからです。
描写すること、表現することから逃避して、イマジネーションに頼るのは良くないけれど、これだけ情景と背景が描写されていれば、「兄ちゃん」の思いは、キスマークだけで充分以上に説得力を持つ。
これはこれで置いといて、別バージョンとして、「同性愛の匂いのする純文学ショートショート」という向きで、もう一度、推敲なさってみては。
相当高い水準の作品に仕上がると思います。
2007/11/06(火) 17:47 | URL | 平和堂書店 #-[ 編集]
わ~~~あ(・∀・)り(・∀・)が(・∀・)と(・∀・)う!ゴザイマス!
そうなんですよ、兄ちゃんの告白の部分がなんかモタついてるなぁと思っていたんです!
ナルホドです!もういっそ描かない!ですか!
純文学なんてとても勿体無いお言葉ですが、
推敲のし直しはしてみるべきだと思います!
本当にありがとうございます!m(_ _)m
そうなんですよ、兄ちゃんの告白の部分がなんかモタついてるなぁと思っていたんです!
ナルホドです!もういっそ描かない!ですか!
純文学なんてとても勿体無いお言葉ですが、
推敲のし直しはしてみるべきだと思います!
本当にありがとうございます!m(_ _)m
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