「兄ちゃん、今日はかなかな捕りに行く約束した日だよっ」
伸一(ノブイチ)が学校より戻ったと同時にハルが駆け寄って来た。
「そうだったね。用意は出来てるかい?」
伸一がそう訊ねるのも聞かず、ハルは元気よく表に飛び出した。
「早く早くっ!」
虫かごを肩に掛け、網を手に伸一を手招きする。
伸一(ノブイチ)が学校より戻ったと同時にハルが駆け寄って来た。
「そうだったね。用意は出来てるかい?」
伸一がそう訊ねるのも聞かず、ハルは元気よく表に飛び出した。
「早く早くっ!」
虫かごを肩に掛け、網を手に伸一を手招きする。
「はいはい」
伸一は、縁側に投げ出された麦藁帽子を二つ手に取り、ハルの後を追った。
「ハル」
走るハルの腕を掴み、ぽすりと麦藁帽子を被せる。
「暑気あたりしたら困るだろう?」
「……うんっ」
ハルは笑って首紐をきゅっと上げた。
獣道をハルに手を引かれ、連れられるがままに林を目指す。日に良く焼けた少年の褐色の肌には、小さな水晶球のような汗がいくつも浮かび、きらきらと陽の光を反射させている。それは容赦なく伸一の目に突き刺さり、伸一はそのまぶしさに目を眩ませた。
清流にさしかかり、「喉が渇いた」というハルの言葉により、下りて喉を潤すことにした。流れに入ると、ひんやりとした山の水が、伸一の体内に篭った熱をかすかに鎮める。
ハルは両手で水を掬い取ってそれを口元へ運んでいた。手から零れる水が顎を伝って流れ落ち、やがてシャツに吸い込まれてゆく。
「ほらっ兄ちゃん! 冷たいよ」
ハルは、掬った水を伸一に向かってぱしゃりと投げつけた。空中を飛ぶ間に温くなった水が、伸一のシャツに掛かってハルと同じ染みを作る。
「あんまりはしゃぐと転ぶぞ」
「兄ちゃんがいるから、大丈夫!」
ハルは飛沫を上げて、楽しそうに笑った。
「ハル……」
一身に光を受けるハルの薄い背を眺めて、伸一は胸を熱くした。
命に代えても護りたい無邪気な存在。その存在に寄せる、伸一の裏腹な想い。明かす事のできないその想いは、伸一の内部で小さな疵となり、常に心の一部を欠落させたまま身体に潜む。完全体にはなり得ない伸一の心。それは、兄であることに対する裏切りの印。ハルを想う度その印は少しずつ深く刻まれ、疵もまたその深さを増してゆく。その疵口が疼いて発熱し、行き場のないその熱は、伸一の体内に篭るのだ。
この熱が、冷める日は来ない。
「兄ちゃん、夕焼け見て帰ろうよ」
そう言うハルの案内で、小高い丘に登った。丘には柔らかい夏草が一面に生い茂り、二人の足元を優しくくすぐる。虫かごに捕らえられた蜩が、かなかな、かなかな、と途切れ途切れに鳴いている。
ふいに遠くで雷が鳴った。
「兄ちゃんっ」
「大丈夫だよ。他所夕立だからね。こちらには来ないんだよ」
慄いてしがみつくハルを優しく抱き締め、伸一は帽子の上からその小さな頭を撫でた。 静かに鳴り響く遠雷と一面朱色の夕焼けの中、こそりと収まる小さな存在をその腕に痛いくらいに甘く感じながら。
かなかな、かなかな。
澄んだ声で鳴く蜩。ハルに捕らえられた彼らは虫かごの中で、あと僅かな命を過ごすだろう。彼等の命が絶えたとき、ハルは、悲しむだろうか。
そんなことを想うと、伸一の内部でまた熱が生じた。こみ上がってきたそれは一粒の涙となって、伸一の頬を伝い落ちていった。
いつの間にか雷の音は消えていた。
「ハル、もう雷は鳴ってないよ。夕焼けを見にきたんだろう?」
ぐず、と鼻を鳴らすハルを身体から引き剥がし、ハルの身体を夕焼けの方へと向けてやる。
「……明日もきっといい天気だね」
「……うんっ」
二人を隔てなく朱く焦がして、太陽は、ゆっくり山の向こうへ姿を消していった。
おわり
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伸一は、縁側に投げ出された麦藁帽子を二つ手に取り、ハルの後を追った。
「ハル」
走るハルの腕を掴み、ぽすりと麦藁帽子を被せる。
「暑気あたりしたら困るだろう?」
「……うんっ」
ハルは笑って首紐をきゅっと上げた。
獣道をハルに手を引かれ、連れられるがままに林を目指す。日に良く焼けた少年の褐色の肌には、小さな水晶球のような汗がいくつも浮かび、きらきらと陽の光を反射させている。それは容赦なく伸一の目に突き刺さり、伸一はそのまぶしさに目を眩ませた。
清流にさしかかり、「喉が渇いた」というハルの言葉により、下りて喉を潤すことにした。流れに入ると、ひんやりとした山の水が、伸一の体内に篭った熱をかすかに鎮める。
ハルは両手で水を掬い取ってそれを口元へ運んでいた。手から零れる水が顎を伝って流れ落ち、やがてシャツに吸い込まれてゆく。
「ほらっ兄ちゃん! 冷たいよ」
ハルは、掬った水を伸一に向かってぱしゃりと投げつけた。空中を飛ぶ間に温くなった水が、伸一のシャツに掛かってハルと同じ染みを作る。
「あんまりはしゃぐと転ぶぞ」
「兄ちゃんがいるから、大丈夫!」
ハルは飛沫を上げて、楽しそうに笑った。
「ハル……」
一身に光を受けるハルの薄い背を眺めて、伸一は胸を熱くした。
命に代えても護りたい無邪気な存在。その存在に寄せる、伸一の裏腹な想い。明かす事のできないその想いは、伸一の内部で小さな疵となり、常に心の一部を欠落させたまま身体に潜む。完全体にはなり得ない伸一の心。それは、兄であることに対する裏切りの印。ハルを想う度その印は少しずつ深く刻まれ、疵もまたその深さを増してゆく。その疵口が疼いて発熱し、行き場のないその熱は、伸一の体内に篭るのだ。
この熱が、冷める日は来ない。
「兄ちゃん、夕焼け見て帰ろうよ」
そう言うハルの案内で、小高い丘に登った。丘には柔らかい夏草が一面に生い茂り、二人の足元を優しくくすぐる。虫かごに捕らえられた蜩が、かなかな、かなかな、と途切れ途切れに鳴いている。
ふいに遠くで雷が鳴った。
「兄ちゃんっ」
「大丈夫だよ。他所夕立だからね。こちらには来ないんだよ」
慄いてしがみつくハルを優しく抱き締め、伸一は帽子の上からその小さな頭を撫でた。 静かに鳴り響く遠雷と一面朱色の夕焼けの中、こそりと収まる小さな存在をその腕に痛いくらいに甘く感じながら。
かなかな、かなかな。
澄んだ声で鳴く蜩。ハルに捕らえられた彼らは虫かごの中で、あと僅かな命を過ごすだろう。彼等の命が絶えたとき、ハルは、悲しむだろうか。
そんなことを想うと、伸一の内部でまた熱が生じた。こみ上がってきたそれは一粒の涙となって、伸一の頬を伝い落ちていった。
いつの間にか雷の音は消えていた。
「ハル、もう雷は鳴ってないよ。夕焼けを見にきたんだろう?」
ぐず、と鼻を鳴らすハルを身体から引き剥がし、ハルの身体を夕焼けの方へと向けてやる。
「……明日もきっといい天気だね」
「……うんっ」
二人を隔てなく朱く焦がして、太陽は、ゆっくり山の向こうへ姿を消していった。
おわり
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コメント
はじめまして。自ブログ訪問ありがとうございました。
しかも、リンクまでして頂いて恐縮で何よりです(正座)
相互リンク熱烈歓迎とありましたので、うちにもこちらのリンクを貼らせて頂きました。
これからもよろしくお願いいたします☆ミ
しかも、リンクまでして頂いて恐縮で何よりです(正座)
相互リンク熱烈歓迎とありましたので、うちにもこちらのリンクを貼らせて頂きました。
これからもよろしくお願いいたします☆ミ
2007/08/25(土) 05:43 | URL | yfa93490 #-[ 編集]
やふーさま
お越しいただき早々にリンクまで貼っていただき
まことにありがとうございます!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
体調一番で執筆活動してくださいね~!
続き楽しみにしてます。
お越しいただき早々にリンクまで貼っていただき
まことにありがとうございます!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
体調一番で執筆活動してくださいね~!
続き楽しみにしてます。
兄ちゃんサイドからのお話ですね。
夕立の情景が美しいです。
夕立の情景が美しいです。
2007/11/06(火) 17:54 | URL | 平和堂書店 #-[ 編集]
もっと精進したいですが
とても嬉しいお言葉
ありがとうございますvvv
なかなか心の暗い部分を暴けなくて…
(それ以前の問題と言う説も…)
とても嬉しいお言葉
ありがとうございますvvv
なかなか心の暗い部分を暴けなくて…
(それ以前の問題と言う説も…)
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