ギャラリーは大通りを一筋中に入った、とある画材屋の二階にあった。細い階段を上ると、目の前に開けた白い空間が広がる。
そこに七斗の姿はなかった。
時間的なものなのか、そもそもいつもそうなのか、見に来ている客は七月の他にあと二人だけで、新聞記事を見て知ったのか、写真とは縁遠い雰囲気の、仕事帰りのOLらしき女性が、写真を眺めては二人小声で何かを言い合っている。
入ってすぐのテーブルに一人、受付の女性が座っていた。
そこに七斗の姿はなかった。
時間的なものなのか、そもそもいつもそうなのか、見に来ている客は七月の他にあと二人だけで、新聞記事を見て知ったのか、写真とは縁遠い雰囲気の、仕事帰りのOLらしき女性が、写真を眺めては二人小声で何かを言い合っている。
入ってすぐのテーブルに一人、受付の女性が座っていた。
「ああ、やっぱ兄弟だったんだ。この歳で個展開いてるっつたらかなり将来有望じゃねぇかよ」
「ん……なのかな」
そんな有望株なら出版社からも引っ張りだこかも知れない。
けれども七斗の写真を、自分がデザインして形にしてみたくなった。
七斗が良いと、言ってくれるなら。
「ん……なのかな」
そんな有望株なら出版社からも引っ張りだこかも知れない。
けれども七斗の写真を、自分がデザインして形にしてみたくなった。
七斗が良いと、言ってくれるなら。
七月はパソコンの電源を落とし、立ち上がった。
そこへ見計らったようなタイミングで、望木が欠伸をしながら仮眠室から出てきた。
「あー七月お疲れ。入稿済んだ?」
「ん、今終わった。いつもお前に代わって俺が謝ってんだよ。この貸し、結構たまってるからね」
冗談を匂わせながらも、緩く睨み付けた。
「んー悪ぃ悪ぃ」
望木は睨まれた視線にも笑い、いつもと変わらぬ調子で頭を掻いてみせた。
そこへ見計らったようなタイミングで、望木が欠伸をしながら仮眠室から出てきた。
「あー七月お疲れ。入稿済んだ?」
「ん、今終わった。いつもお前に代わって俺が謝ってんだよ。この貸し、結構たまってるからね」
冗談を匂わせながらも、緩く睨み付けた。
「んー悪ぃ悪ぃ」
望木は睨まれた視線にも笑い、いつもと変わらぬ調子で頭を掻いてみせた。
――七斗、覚えてたのか……。
二人の時がまだ一緒に流れていた頃の、無垢な思い出。七斗がそれからずっと、蝶を見ていたなんて、……。
――知らなかった。
新聞を持つ手が、小刻みに震えている。七月はその小さな記事を、何度も読み返した。
七斗はその蝶たちに何を見ているのだろう。
もし、七月と同じなら。
二人の時がまだ一緒に流れていた頃の、無垢な思い出。七斗がそれからずっと、蝶を見ていたなんて、……。
――知らなかった。
新聞を持つ手が、小刻みに震えている。七月はその小さな記事を、何度も読み返した。
七斗はその蝶たちに何を見ているのだろう。
もし、七月と同じなら。
――『街の中にも蝶は結構いるんですよね』
そう語るのはギャラリーに展示される、これら全ての蝶の写真を撮った小池七斗氏。――
――七斗だ。
そう語るのはギャラリーに展示される、これら全ての蝶の写真を撮った小池七斗氏。――
――七斗だ。
「ああそだ七月」
何か言い残したことがあるのか、望木が立ち止まり振り返った。
「お前兄弟いる?」
「え? ……ん、いる」
望木の唐突な問いに戸惑いながらも七月は頷いた。
何か言い残したことがあるのか、望木が立ち止まり振り返った。
「お前兄弟いる?」
「え? ……ん、いる」
望木の唐突な問いに戸惑いながらも七月は頷いた。
夜が明けた。
立ち上がり窓辺に立つ。白みゆく空を見上げ、七月の姿を探す。
七月は戻ってこなかった。
傷ついた羽を、どこで休ませているのだろう。
傷付け羽をもいだのはこの自分なのに。七月の不在が何よりも、……
――苦しい。
その生を授かった時から一緒だったのに、何故一緒に生きては行けないのか。
そして今日もその答えを求めるように、蝶の姿を求める。
朝焼けの光が七斗を照らす前。
七斗は鞄を手に、七月の部屋をあとにした。
立ち上がり窓辺に立つ。白みゆく空を見上げ、七月の姿を探す。
七月は戻ってこなかった。
傷ついた羽を、どこで休ませているのだろう。
傷付け羽をもいだのはこの自分なのに。七月の不在が何よりも、……
――苦しい。
その生を授かった時から一緒だったのに、何故一緒に生きては行けないのか。
そして今日もその答えを求めるように、蝶の姿を求める。
朝焼けの光が七斗を照らす前。
七斗は鞄を手に、七月の部屋をあとにした。
もうずっと以前から、蝶に囚われ続けている。
無邪気な美しい思い出から始まったそれは、時に妖しく、時に苦しくなる程に蠱惑的に、七斗の心を奪い、惑わせてきた。
――七月。
その背に羽が見えたのはいつ頃からだっただろう。
その羽は、年数を経るごとに美しさを増していった。それに比例して、七月に対するえもいわれぬ欲望のようなこの感情が、大きくなってゆくのを感じていた。いや、この感情が大きくなってゆくにつれ、その羽の美しさが増していったのかも知れない。
無邪気な美しい思い出から始まったそれは、時に妖しく、時に苦しくなる程に蠱惑的に、七斗の心を奪い、惑わせてきた。
――七月。
その背に羽が見えたのはいつ頃からだっただろう。
その羽は、年数を経るごとに美しさを増していった。それに比例して、七月に対するえもいわれぬ欲望のようなこの感情が、大きくなってゆくのを感じていた。いや、この感情が大きくなってゆくにつれ、その羽の美しさが増していったのかも知れない。
けれども心の奥底では分かっている。
本当はそう簡単には割り切れない。
諦め切れないからこそ七斗と一緒にいるのが苦しい。
諦め切れないからこそ誰も愛することができない。
諦め切れないからこそ。
――七斗。
「一番理解って欲しい相手なのに……」
こんな自分を理解してくれたら、と夢想する。
本当はそう簡単には割り切れない。
諦め切れないからこそ七斗と一緒にいるのが苦しい。
諦め切れないからこそ誰も愛することができない。
諦め切れないからこそ。
――七斗。
「一番理解って欲しい相手なのに……」
こんな自分を理解してくれたら、と夢想する。
ゆっくりと煙を吸い込んだ。
普段煙草を吸わない身体には、たったそれだけでくらくらと、七月から血の気を奪ってゆく。それでもどこかほっと、落ち着いた気分になれた。
僅かに乱れた髪を手櫛で梳いて、吸い込んだ時と同じようにゆっくりと煙を吐いた。
普段煙草を吸わない身体には、たったそれだけでくらくらと、七月から血の気を奪ってゆく。それでもどこかほっと、落ち着いた気分になれた。
僅かに乱れた髪を手櫛で梳いて、吸い込んだ時と同じようにゆっくりと煙を吐いた。